石炭の時代展(7)転々と渡り歩いた筑豊の炭鉱
2016年 05月 08日
小炭坑の坑道仕操
他4点
島津輝雄
1972(昭和47)年頃
水彩・紙
42.8×61.3cm
鞍手町歴史民俗博物館蔵
飯塚市出身の島津輝雄(1927-1975)氏は、両親について幼い時から坑内に下り、14歳で一人前の坑内作業員として働き始めたといいます。筑豊の炭鉱を十数鉱、転々とし、1961年、新目尾鉱(しんしゃかのおこう・福岡県鞍手郡鞍手町)の閉山を最後に炭鉱を辞めました。
その後、炭鉱が次々と閉山するのを目の当たりにした島津氏は、「炭坑は消え行く」と題した自叙伝を書き、その挿絵として、自らの記憶に基づいた記録画を制作しました。当時の新聞記事によると、自叙伝は原稿用紙四百八十枚におよぶものでした。出版には至らなかったようですが、彼の描いた水彩画と、別の紙に書いた解説が、戦前・戦後の炭鉱の様子を鮮やかに伝えてくれます。
これらの作品の展示は5月15日までの予定です。島津氏の別の作品に入替え予定。
by nogataartmuseum
| 2016-05-08 17:35
| 企画展